ロンドンにおける同時テロ報道が毎日報道されている折、赤報隊(日本におけるテロリストと呼ばれる団体がしばし借用している)相楽総三という男を思い出した。
「赤報隊」の正体―朝日新聞阪神支局襲撃事件
幕末、江戸幕府崩壊前夜、薩摩藩の密命を受けて江戸市中擾乱の首謀者となったのが相楽総三だ。
上方の公家勢力を背景に、幕府と交戦直前だった薩摩藩の西郷隆盛、大久保一蔵は幕府を挑発し、戦争へと仕向けるため、江戸擾乱を画策、勤皇志士相楽総三、伊牟田尚平、益満休之助に密命を与えた。
相楽らは薩摩三田邸を根拠地として、そこに市中を徘徊する浪人等約500人を集め、来るべき擾乱ゲリラ戦に備えた。しかし、浪人隊には給金等が無かったため、生きるために市中で辻斬り、強盗などの悪行を尽くし、市中の治安悪化という西郷らの企図通りに事は運んでいく。
契機付いた浪士隊は、いよいよ江戸を中心に三方から脅かそうとするゲリラ戦に出撃する。しかしながらそこは所詮、寄せ集めの浪士隊、各藩士に迎撃、殲滅される。
国際問題にもなっていた浪士隊の暗躍、悪行に業を煮やした幕府は、その根拠地が薩摩三田邸である事を突き詰め、討ち入りを決行。相楽等は血路を開いて薩摩の運送船に逃げ込み、命からがら京都の西郷の所に逃げ帰ったのだ。
俗に言う薩摩藩三田邸焼討事件が鳥羽伏見の戦いの呼び水となってしまう。幕臣勝海舟らの鎮静論を無視して、軽率に挑発に乗った幕府はまさに薩摩の術中にはまったのである。この焼き討ちを契機に強硬派の幕臣は勢いづき、もはやこれを将軍慶喜も止めると事ができないまま、鳥羽伏見の開戦、敗戦、そして大政奉還に繋がっていくのである。続きを読む
「赤報隊」の正体―朝日新聞阪神支局襲撃事件
幕末、江戸幕府崩壊前夜、薩摩藩の密命を受けて江戸市中擾乱の首謀者となったのが相楽総三だ。
上方の公家勢力を背景に、幕府と交戦直前だった薩摩藩の西郷隆盛、大久保一蔵は幕府を挑発し、戦争へと仕向けるため、江戸擾乱を画策、勤皇志士相楽総三、伊牟田尚平、益満休之助に密命を与えた。
相楽らは薩摩三田邸を根拠地として、そこに市中を徘徊する浪人等約500人を集め、来るべき擾乱ゲリラ戦に備えた。しかし、浪人隊には給金等が無かったため、生きるために市中で辻斬り、強盗などの悪行を尽くし、市中の治安悪化という西郷らの企図通りに事は運んでいく。
契機付いた浪士隊は、いよいよ江戸を中心に三方から脅かそうとするゲリラ戦に出撃する。しかしながらそこは所詮、寄せ集めの浪士隊、各藩士に迎撃、殲滅される。
国際問題にもなっていた浪士隊の暗躍、悪行に業を煮やした幕府は、その根拠地が薩摩三田邸である事を突き詰め、討ち入りを決行。相楽等は血路を開いて薩摩の運送船に逃げ込み、命からがら京都の西郷の所に逃げ帰ったのだ。
俗に言う薩摩藩三田邸焼討事件が鳥羽伏見の戦いの呼び水となってしまう。幕臣勝海舟らの鎮静論を無視して、軽率に挑発に乗った幕府はまさに薩摩の術中にはまったのである。この焼き討ちを契機に強硬派の幕臣は勢いづき、もはやこれを将軍慶喜も止めると事ができないまま、鳥羽伏見の開戦、敗戦、そして大政奉還に繋がっていくのである。続きを読む
闘魂三銃士、近年は破壊王と呼ばれたプロレスラー橋本真也選手が急逝した。
橋本選手は1965年(昭和40年)7月3日、岐阜県土岐市生まれ。84年4月に新日本プロレスに入門後、同9月1日、後藤達俊戦でデビュー。89年から武藤敬司選手、蝶野正洋選手と闘魂三銃士として人気を集めた。
99年1月に小川直也選手に敗れ引退を表明するも、ファンからの強い要望で同10月の藤波辰爾戦で復帰。
その後、ゼロワンを創設した以降は、団体の枠を越えた戦いを次々に出場し、03年2月にはグレート・ムタを破り、全日本の3冠王座を奪取。
かつての宿敵小川直也選手とはOH砲としてコンビを結成しゼロワン、全日本、ハッスルなどで共闘した。
04年8月31日ゼロワン盛岡大会が最後の試合となった。
プロレス愛好家として、プロレスラーとして一時代を築いた橋本真也選手のご冥福を祈ります。
橋本真也 1995-2000 衝撃!三銃士ヒストリー PART.5続きを読む
橋本選手は1965年(昭和40年)7月3日、岐阜県土岐市生まれ。84年4月に新日本プロレスに入門後、同9月1日、後藤達俊戦でデビュー。89年から武藤敬司選手、蝶野正洋選手と闘魂三銃士として人気を集めた。
99年1月に小川直也選手に敗れ引退を表明するも、ファンからの強い要望で同10月の藤波辰爾戦で復帰。
その後、ゼロワンを創設した以降は、団体の枠を越えた戦いを次々に出場し、03年2月にはグレート・ムタを破り、全日本の3冠王座を奪取。
かつての宿敵小川直也選手とはOH砲としてコンビを結成しゼロワン、全日本、ハッスルなどで共闘した。
04年8月31日ゼロワン盛岡大会が最後の試合となった。
プロレス愛好家として、プロレスラーとして一時代を築いた橋本真也選手のご冥福を祈ります。
橋本真也 1995-2000 衝撃!三銃士ヒストリー PART.5続きを読む
曇り時折雨。
気だるい今週末は掃除、洗濯を午前中に済ませ、後は何もしないで書籍と向き合うだけ。
学生時代、刑事学、刑事訴訟法のゼミに入っており、死刑は如何や等と議論していたので、下記のような一見物騒な書籍も我が家の書庫の一員だ。
人が人を裁く歴史を辿ると、法歴史学という分野になってくるが、そこには人間の根源が見え隠れし興味深い。
文化人類学的な要素も多分に含み、解読にはやや手間取るのだが、鬱々とした週末には持ってこいの遊び道具となる。
図説 死刑全書
気だるい今週末は掃除、洗濯を午前中に済ませ、後は何もしないで書籍と向き合うだけ。
学生時代、刑事学、刑事訴訟法のゼミに入っており、死刑は如何や等と議論していたので、下記のような一見物騒な書籍も我が家の書庫の一員だ。
人が人を裁く歴史を辿ると、法歴史学という分野になってくるが、そこには人間の根源が見え隠れし興味深い。
文化人類学的な要素も多分に含み、解読にはやや手間取るのだが、鬱々とした週末には持ってこいの遊び道具となる。
図説 死刑全書
本日から7月8日までは入谷朝顔市。
台東区入谷を中心に言問い通り、昭和通り沿いに朝顔露天が連なる。戦後から続く夏の下町風物詩となっている。
そんな風流な気分に浸りながら、社内ミーティングのため日本橋営業所に直行。
午後からは日本最大の経営者向けメールマガジン「プレジデントビジョン」を発行する株式会社ライブレボリューション様に訪問。「プレジデントビジョン」では弊社代表の倉橋もご紹介頂き、お世話になっているので、ご挨拶も兼ね、お邪魔させて頂いた次第である。
社員一人一人に、チームとしての存在意義、個としての仕事に対する目標、社としてビジョンを明確に意識させようとする社風が感じられた。
個々の趣向が細分化される中、モチベーションを保つ施策として、感心させられる取り組みだ。
浜松町を後にし、新橋で打ち合わせ後、再び日本橋営業所に。
今日は最近では珍しく、東京から一歩も出そうにない。
台東区入谷を中心に言問い通り、昭和通り沿いに朝顔露天が連なる。戦後から続く夏の下町風物詩となっている。
そんな風流な気分に浸りながら、社内ミーティングのため日本橋営業所に直行。
午後からは日本最大の経営者向けメールマガジン「プレジデントビジョン」を発行する株式会社ライブレボリューション様に訪問。「プレジデントビジョン」では弊社代表の倉橋もご紹介頂き、お世話になっているので、ご挨拶も兼ね、お邪魔させて頂いた次第である。
社員一人一人に、チームとしての存在意義、個としての仕事に対する目標、社としてビジョンを明確に意識させようとする社風が感じられた。
個々の趣向が細分化される中、モチベーションを保つ施策として、感心させられる取り組みだ。
浜松町を後にし、新橋で打ち合わせ後、再び日本橋営業所に。
今日は最近では珍しく、東京から一歩も出そうにない。
通勤中の読書は貴重な情報収集の時間でもあるが、私は歴史小説を読む事で趣味の歴史散策の時間に充てている。
今朝は司馬遼太郎「戦雲の夢」を読んできた。
土佐の出来人と名高い戦国武将、長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)の世子、盛親(もりちか)の半生を綴った歴史小説である。
盛親は偉大な父の死後、土佐守として土佐22万石の太守となるが、関ヶ原の一戦で、石田三成方の西軍に組しながら戦場では一歩も動かず、結局戦う事無く負けた。
土佐の強兵六千を縦横無尽に動かせば、僅差で徳川方の東軍が勝ちを収めた勝敗をひっくり返せたかもしれず、逆に東軍に寝返れば、東軍の勝利に大きな貢献をしたとして後の改易、蟄居は免れただろう。
五十年の人生に、人は、たった一瞬だけ、身を裂くほどの思いをもって決断すべき日がある。盛親の場合、その一瞬を見送った。
とある。今朝読んだ項にあったこの節は、経営にも同様の事が言える場面が必ずあるのではと若輩者ながら感じた。
歴史の妙はここから始まる。後に長曾我部家の遺臣は旧太守の盛親を擁し、大阪夏の陣にて関ヶ原の一戦の恥を拭うべく立ち上がるが、散々に打ち滅ぼされ、家名は終焉を迎える。
しかしながら、土佐に残った土佐郷士と呼ばれる長曾我部家の残党が幕末、再度立ち上がり、徳川幕府を終焉させる大きなエネルギーとなるのである。
戦雲の夢
今朝は司馬遼太郎「戦雲の夢」を読んできた。
土佐の出来人と名高い戦国武将、長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)の世子、盛親(もりちか)の半生を綴った歴史小説である。
盛親は偉大な父の死後、土佐守として土佐22万石の太守となるが、関ヶ原の一戦で、石田三成方の西軍に組しながら戦場では一歩も動かず、結局戦う事無く負けた。
土佐の強兵六千を縦横無尽に動かせば、僅差で徳川方の東軍が勝ちを収めた勝敗をひっくり返せたかもしれず、逆に東軍に寝返れば、東軍の勝利に大きな貢献をしたとして後の改易、蟄居は免れただろう。
五十年の人生に、人は、たった一瞬だけ、身を裂くほどの思いをもって決断すべき日がある。盛親の場合、その一瞬を見送った。
とある。今朝読んだ項にあったこの節は、経営にも同様の事が言える場面が必ずあるのではと若輩者ながら感じた。
歴史の妙はここから始まる。後に長曾我部家の遺臣は旧太守の盛親を擁し、大阪夏の陣にて関ヶ原の一戦の恥を拭うべく立ち上がるが、散々に打ち滅ぼされ、家名は終焉を迎える。
しかしながら、土佐に残った土佐郷士と呼ばれる長曾我部家の残党が幕末、再度立ち上がり、徳川幕府を終焉させる大きなエネルギーとなるのである。
戦雲の夢
本日は午前中、社内ミーティング2件。
午後からも社内で今月以降のチームとしての動き、新広告の考案、取引先各社との連絡で一日が過ぎていく。
本日の日経流通新聞の最終面では谷根千特集が掲載されていた。
谷根千とは谷中・根津・千駄木の事で、上野から不忍通りを北に行った辺りを指す。文京区、台東区の境界上の地域で、いわゆる下町と呼ばれる穏やかな町並み、雰囲気が色濃く残っており、週末は散策目当ての観光客の姿も少なくない。私もこの町並みが好きで、週末は自転車で散策によく出かける。
下町と日経流通新聞とは以外な組み合わせであるが、この谷根千に多くの書店が集中しており、それをマーケティングの視点で捉え特集記事にしている。
視点を変える事で、同じ町でも表現方法は大きく異なるものだ。
ご興味のある方は、当ブログのカテゴリー谷中とあわせてご覧頂ければと思う。
谷根千百景―剪画で訪ねる下町ぶらり歩き
午後からも社内で今月以降のチームとしての動き、新広告の考案、取引先各社との連絡で一日が過ぎていく。
本日の日経流通新聞の最終面では谷根千特集が掲載されていた。
谷根千とは谷中・根津・千駄木の事で、上野から不忍通りを北に行った辺りを指す。文京区、台東区の境界上の地域で、いわゆる下町と呼ばれる穏やかな町並み、雰囲気が色濃く残っており、週末は散策目当ての観光客の姿も少なくない。私もこの町並みが好きで、週末は自転車で散策によく出かける。
下町と日経流通新聞とは以外な組み合わせであるが、この谷根千に多くの書店が集中しており、それをマーケティングの視点で捉え特集記事にしている。
視点を変える事で、同じ町でも表現方法は大きく異なるものだ。
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