刀身と反りの合わない鞘や、刀身と鞘を別々のものを一つにしたものを後家鞘(ごけざや)という。

幕末、宇和島藩脱藩で後家鞘の彦六と呼ばれた剣客がいた。小身の侍の六男に生まれ、程なく養子に出されるが事情あって転々と家を出され、行きついた入夫先の中村家では女房に死なれ、その後脱藩。

養家と彦六との反りの合わない風を持って後家鞘と言われたとか、生家から持ち出した刀身を養家で見つけた古鞘に、鞘の中を削り無理に押し込めていたから後家鞘と言われたなどの話がある。

諸事ありこの男、海援隊副長陸奥陽之助が、隊長坂本竜馬暗殺の復讐のための紀州藩三浦休五郎暗殺討ち入りに参加し、その類稀な居合術を披見している。

世に言う天満屋討ち入り事件だ。
三浦の周辺には常に新撰組が周辺を固めていた。当夜も三番隊隊、長斉藤一など腕に覚えのある剣客が護衛していた。その夜、第一の使い手である斉藤の篭手を撃ち、戦闘不能にしたのが彦六である。

彦六は宇和島藩時代、剣術修行と称して諸国を遊説していた坂本と宇和島城下で酒宴をともにしている。剣談となり坂本が彦六の刀を見ると、同じ土佐鍛冶久国であった。坂本は「刀同士が兄弟じゃ、お前さんとわしゃ前世に契りがあるかもしませんぞ」と言ったという。

彦六は当世第一と言われた千葉道場、塾頭をつとめた坂本にこの夜から心酔し、天満屋討ち入りに至るのである。

討ち入り後の彦六は忙しかった。鳥羽伏見の戦い、明治維新の風雲の大波に乗りに乗り、旧藩主伊達宗城に賞されるまでの活躍をし、維新後、後家鞘こと土居通夫は兵庫裁判所長などを歴任し、大阪府県知事にまで上りつめた。

人の命運は良くも悪くもたった一夜、たった一人の男との出会いによって変わる事もあるのだ。

坂本の生き様を別視点で見ると、これまた話が尽きないのだ。