相澤謙一郎の起業史 3[19歳 はじめての起業]の続きです。

ハンドボールとの出会いは新鮮でした。それは真剣に試合に勝つための練習をしている事でした。

野球部時代、私達はよくサッカーをしていましたし(サッカーには多少の自信もあったのではまりました)、ノックの返球をグローブでなく人を狙って投球したりして、ふざけてばかりいました。

私はハンドボールに夢中になりました。今は亡き人間味のある優しい顧問との出会いも夢中になった要因でしょう。

[恩師の死]
http://aizawa.livedoor.biz/archives/50189701.html

残りの中学生活2年間はハンドボール漬けでした。ハンドボールは球技の格闘技と言われる激しい競技です。思い切り体と体をぶつけ合うのです。私は全力で40m×20mのコートを駆け巡り、ゴールに向かって全力投球する事に熱中していたのです。

マイナー競技のため学校数は多くありませんが、横須賀市では圧倒的1位、神奈川県でもベスト16の成績を残しました。そしてエスカレーター式に横須賀学院高校に入学するのです。

高校では野球部に戻るつもりでした。甲子園に行く夢は100%捨てていなかったのでしょう。私は既に高校野球部の練習に参加していた中学野球部時代の同級生S君を呼び出し、入部テストを依頼します。

テスト内容はストレート一球勝負。このストレートが野球界で通用するようなら野球部に入り、それが無理ならハンドボール部に入るつもりでした。一球入魂というわけです。

渾身の力を込めたストレートはS君のグローブはおろか、グランドのネットを越え、学校に隣接した公園にまで飛んでいきました。準備運動の大切さを思い知らされたわけです。

こうして少年誌以下のドラマを演じる私は甲子園の夢を諦め、ハンドボールを続けるに至りました。