相澤謙一郎の起業史 12[19歳 はじめての起業]の続きです。

現在のようにインターネット検索ができる時代ではありませんから、物件探しは足に頼るしかありません。RG250Eを駆り、不動産屋をひたすら廻る毎日です。

何日目にかに、上町で運命の張り紙を見つけます。

緑ヶ丘、6坪、家賃6万、敷金×2ヶ月、礼金×2ヶ月

その激安ぶりに私は飛びつきました。早速、不動産屋に飛び込み、物件を内見します。想像を絶する廃墟でしたが、もう勢いは止まりません。すぐにパートナーを説得して、不動産契約をします。場所は横須賀の飲ん兵衛が集まるドブ板通りです。

時に1996年4月の事でした。

毎晩、作戦会議のはじまりです。6坪の店内をいかに有効活用するか。因みに内装工事は、お金がないので全て自分達で施工する算段です。

検討の末、私の吉野家式内装が採用されました。
LAB内装図

当時、対面式のバーは画期的だったかもしれません。今で言うとラーメン店の一蘭さんが対面型の内装で座席数を増やしています。対面式だと人目が気になりますから、格子を水道パイプで造作する事により、目隠しを設けました。

カウンターとカウンターの間が通路になっており、バーテンダーは格子越しにオーダー品をお客様に届けます。また消防法対策のため、客席との境に扉も設けました。

店舗デザインもほぼ決定したので、工事の始まりです。

まずは現在の造作の破壊作業です。大型の槌を振るい、殆どの構造物を破壊しました。積年の埃のせいか、目が腫れ上がってしまいました。数日で撤去作業を終了させ、いよいよお店作りの開始です。

トイレの出入り口を変更したため、新たに手洗いを造作する必要があります。排水溝の逃げ口を確保するため、一段床を棚上げする事にします。水道工事、棚上げ工事、電気工事など全て自分達で施工しました。

資材は横須賀市内のDTYショップや木材屋さんから仕入れました。

順調に続いた内装工事でしたが、思いがけぬ大事故が私を待ち受けていました。