相澤謙一郎の起業史 14[19歳 はじめての起業]の続きです。

重傷を負った私は見事なまでに包帯だらけでした。噂を聞いた友人達がわざわざ私を笑うために自宅までやってきました。彼らの爆笑ぶりを見ると、完全に馬鹿にされているわけですが、首の周りが痛く、反撃は不可能です。

数日間は自宅から通院の日々でした。

総合病院なので、日中混雑するため病院には朝一で行きます。毎朝、待合室でお婆ちゃん達になぜ怪我をしたかの説明をする必要がありました。ほのぼのとた光景ですが、肉が削げた踵の消毒は地獄の痛みです。

保険や事故相手の交渉など様々な後始末をしながら、脳への後遺症、欠席が重なる必修科目の事、ライブが近づいていたバンドの事、そして店舗内装工事ができない心配など、様々な不安要素を抱えるに至りました。

自業自得です。

「ちょっとケンちゃん大丈夫?」意外な出会いが私を励ましてくれました。偶然にも通院していた総合病院では、かつてのアルバイト先の先輩と、高校の同級生が看護婦(実習生)として勤務していたのです。これが横須賀の狭さです。

内心、友人にも爆笑されるミイラ姿でしたので「やばい…」と思ったのですが、ちょっと驚くほど優しくしてくれたので、癒されました。まさに白衣の天使です。

早速、横須賀中央に飲み行き、看護婦さん友達も増えていきました。彼女達は、私が将来開業するお店の常連さんになってくれます。今思うと、当時の方が営業力があったかもしれません。


しかし、えへらえへらと酔っ払ってばかりはいられません。不動産契約した物件のテナント料金は日々発生してますし、そもそも遊んで暮らす金などないのです。褒められた話ではありませんが、医療費も払えなくなったので病院に行く必要もなくなりました。

幼い起業家は松葉杖片手に立ち上がるのです。
骨折包帯写真