1573年5月8日に室町幕府の最後の将軍・足利義昭と対立中だった時の権力者・織田信長が正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命で和睦したと言われています。

しかしながら義昭が7月に再度挙兵した際には、信長に捕らえられ、京を追われ河内(大阪府の東部)に追放されてしまいます。これにより、足利尊氏が創設した室町幕府は滅亡しました。

足利義昭は小説や歴史物ゲームにおいて、今川氏真や一条兼定と並び戦国の暗君として扱われる事があります。しかしながら、大規模な信長包囲網を形成、討伐令を下し、一時は信長を窮地に陥れています。

信長包囲網には一向宗を統べる本願寺顕如、精強な武田騎馬軍を率いる甲斐の虎・武田信玄、同盟関係にあった浅井長政(妻は信長の妹・市)、剣豪将軍と称された実兄・義輝を暗殺した梟雄・松永久秀と三好三人衆らが加わっています。

各勢力の思惑があったのは当然ですが、これだけの大物、曲者をまとめた政治的手腕はただ者ではないと思います。当時、3万の強兵を率いて上洛の最中であった武田信玄が53歳で没していなければ、歴史は変わり、後世の足利義昭の評価と室町幕府の歴史も変わっていたかもしれません。

歴史に「もしも」はありませんが、空想は我々の想像力を刺激して止みません。

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