相澤謙一郎ブログ「22世紀にのこる ものつくりを志して!」

相澤謙一郎の理念  一、無から有を生みだす。 一、顧客の笑顔=商品の付加価値=利益 一、世のため人のためになる事をする。それ以外はしない。 一、変化を恐れない改革者であり続ける。 一、従業員はもとより、家族、親族、近隣住民を大切にし、彼等から信頼される企業となり、人となる。

2005年03月

2004年度最終日

今年度も本日で最終日。我々のお客様にとっては、年度も何も関係が無くて、どれだけ商売繁盛のお役に立てているか、という1点なので、特段考え深いものは無いのだが。

しかし振り返ると、1年前所属していた埼玉営業所の引越、東埼玉営業所の立ち上げ、横浜本社への異動、池袋・日本橋営業所立ち上げなど、お蔭様で今年も動きのあった1年だった。柔軟な対応力、変化に耐えうる思考力が無いと、企業の生き残りが難しいと言われるが、2005年度はより俊敏な対応、動きがお客様からも世の中からも求められる1年になる。肝を据えて、瞬時に筋道の通った決断を指示できる営業になるため日々、汗をかこう。

午後からは新商品のブレスト!新しい価値観を提供できる商品をつくりたい。

日本橋営業所初出社

3月22日より、池袋営業所と日本橋営業所(秋葉原から移転)を新設。

本日は日本橋営業所に初出社。
テナントは三越さん目の前の、山本ビル(海苔の山本海苔さん)だ。
商業の中心地、日本橋に事務所を構えたからには、名に恥じない仕事、我々で言えばメディアを作らばければ!と改めて気を引き締める。

今夜は、サッカー日本代表バーレーン戦。何とか試合終了前に帰宅できるようスピード、精度、集中!

相澤がぱどを通じてやりたい事

株式会社ぱど相澤謙一郎と申します。

ぱどという宅配型のフリーペーパーを発行している会社です。地元のお店情報、映画情報、催事情報、求人情報などを掲載している地域情報誌です。

株式会社ぱど

私には、ぱどを通じてやりたい事がございます。
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相澤謙一郎プロフィール

タイムカプセル合同会社の相澤謙一郎です。よろしくお願いします。
祖母と相澤謙一郎

■1976年神奈川県横須賀市生まれ
■1995年横須賀学院高等学校卒業
■1996年横須賀市本町に「BAR L.A.B(ラボ)」開業
■1999年明治学院大学法学部法律学科卒業
■1999年株式会社ぱど入社
■2001年「BAR L.A.B(ラボ)」閉店
■2002年PJリーダーとして横須賀・三浦版ぱど創刊
葉山郡木古庭にて「CafeBar BRAINS(ブレインズ)」開業、翌年閉店
■2004年1月ぱど初のスーパーバイザーとして埼玉営業所に異動
11月新規事業部準備のためデジタル営業課発足
■2005年4月新規事業部、Webプランニング事業部広告販促課発足
■2006年10月Webプランニング事業部広告販促課廃止に伴い、第二事業部に異動
■2007年2月より中国におけるフリーマガジン事業立ち上げのため、上海に駐在
■2007年6月上海OL向けライフスタイル提案型マガジン「MeHer」創刊
※2008年1月29日に中国事業からの撤退を発表
■2008年3月より広域事業部55課に異動、新規事業担当
■2008年6月株式会社ぱど退社
■2008年7月株式会社ユニメディア入社
■2009年1月株式会社ユニメディア営業部 部長
■2010年1月株式会社ユニメディア退社
■2010年2月Eagle株式会社創業
■2013年5月タイムカプセル合同会社創業

ライフワークはブルース、酒肴、モーターサイクルと戯れる事。
ブルースはドラムを叩き、ロック、ジャム、スカ、ダンスホール、歌謡、ハードコアなどノンポリで突き進んだ末のミュージシャン崩れ…。

酒はビールを一、二杯やった後は、焼酎か日本酒。洋酒はジムビーム、サザンカンフォート、クエルヴォゴールドを好む。肴は刺身、納豆、豆腐、酢の物が好物。

四輪車はホンダステップバン360をラスタカラーにオールペン、滅多に使わないリンデンのショートボードを積んでいたが、あえなく中央分離帯により破壊、廃車。二輪車はSUZUKI RG400Γ、RG250E、RG50E、レッツ50を所有。残念ながら動く車両は1台も無し。

■関連書籍■
母方の曽祖父、寺崎太郎の実弟、寺崎英成の著書。

母方の曽祖父、寺崎太郎の実弟、寺崎英成の一人娘、マリコ・テラサキ・ミラーを題材に書かれた柳田邦男の著書。

母方の曽祖父、寺崎太郎の実弟、寺崎英成の妻、グエン テラサキの著書。


■関連記事■
この国の座標 憲法誕生とその時代[2005年05月27日、神奈川新聞]

■スポーツ■
幼少時…スイミングスクール(あまり記憶は無いが、好きではなかった。)

小学生時代…1年〜4年頃(馬堀FCという地元のサッカークラブ。1軍と2軍の間を行き来する)4〜6年は学校のサッカー部とソフトボール部に所属。対外試合無し。学校では、平均運動能力が低かったのか、トップレベルの活躍。

中学時代…1年、野球部。それなりの問題を起こし、事実上廃部。
2〜3年、ハンドボール部。学校で一番、厳しい部活。競合が少なく、市内1位。県大会ベスト16。部活引退後、格闘技好きがこうじて、打撃系総合武道団体「大道塾」に入塾。殴る、蹴る、絞めるの基本を文字通り叩き込まれる。

高校時代…1年、授業で柔道選択。同年、クラス別柔道大会団体で中堅にて出場、優勝。生涯、最強の時。
1〜3年、ハンドボール部。典型的なスポ根生活。正月休みの3日間は練習休み。定期試験前後、修学旅行、文化祭など全部練習。血塗られた三年間。しかも坊主。精神的、肉体的ストレスから数々の事件(かわいいものですよ!)を引き起こすなどメイクトラブルの中心人物に。
新人戦ベスト8、神奈川県インターハイ予選準優勝など。

■MUSIC■

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お知らせ
1.記載されている内容は、株式会社ぱど、ならびにぱど関連会社の考え方ではなく、あくまで相澤謙一郎の個人的見解によるものです。なお相澤謙一郎は2008年6月30日をもって株式会社ぱどを退職しております。

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