先日より夏季の休暇を頂き、蒲生氏郷公や幕末の動乱期の資料見聞などを目的に会津の旅に出た。氏郷は時の右大臣、織田信長の憶えも目出度く、才覚もあったから、彼の息女を嫁にもらったほどで、云わば信長の譜代大名、織田家の後見人の一人として期待された戦国大名だった。


期せずして本能寺で信長が暗殺された後は、後継者の権利も会った彼も、瞬く間に天下人となった太閤秀吉に従属したのである。太閤も氏郷の才覚と血統を恐れたのか、大阪から離れた北の探題として移封し、その地を納めさせる。独眼流正宗の脅威や、反乱の絶えない北の地の政治に苦慮し早死にしたとか、石田三成、直江兼続に暗殺されたとも言う。

いずれにせよ、その才覚の大いに発揮する事なく、僅かながらこの地に城郭を築き、若くして逝去した。必ずしも大往生とは言えなかったのではあるまいか。
蒲生氏郷公之墓.jpg蒲生氏郷公.jpg
幽玄の輝きを放つ、鶴ヶ城。鶴ヶ城.jpg
その後この地は、上杉景勝公、保科公を経て幕末まで続く松平公と受け継がれる。上杉公は米沢に移封(減俸)、松平会津藩はご存知の通り、幕末は賊軍として白虎隊をはじめ悲惨な戦争後、斗南藩に移封(減俸)という歴史を辿る。

この連休中も大いに歴史観光のためにPR、宣伝をしているこの地だが、思いの他、観光客は見かけなかったし、町自体が重く沈んでいる気がした。

鶴ヶ城で暮らした大名以外のこの地の色、産業を歴史から解き離れた所で見てみたいと思う。