先日より夏季の休暇を頂き、蒲生氏郷公や幕末の動乱期の資料見聞などを目的に会津の旅に出た。氏郷は時の右大臣、織田信長の憶えも目出度く、才覚もあったから、彼の息女を嫁にもらったほどで、云わば信長の譜代大名、織田家の後見人の一人として期待された戦国大名だった。
期せずして本能寺で信長が暗殺された後は、後継者の権利も会った彼も、瞬く間に天下人となった太閤秀吉に従属したのである。太閤も氏郷の才覚と血統を恐れたのか、大阪から離れた北の探題として移封し、その地を納めさせる。独眼流正宗の脅威や、反乱の絶えない北の地の政治に苦慮し早死にしたとか、石田三成、直江兼続に暗殺されたとも言う。
いずれにせよ、その才覚の大いに発揮する事なく、僅かながらこの地に城郭を築き、若くして逝去した。必ずしも大往生とは言えなかったのではあるまいか。
期せずして本能寺で信長が暗殺された後は、後継者の権利も会った彼も、瞬く間に天下人となった太閤秀吉に従属したのである。太閤も氏郷の才覚と血統を恐れたのか、大阪から離れた北の探題として移封し、その地を納めさせる。独眼流正宗の脅威や、反乱の絶えない北の地の政治に苦慮し早死にしたとか、石田三成、直江兼続に暗殺されたとも言う。
いずれにせよ、その才覚の大いに発揮する事なく、僅かながらこの地に城郭を築き、若くして逝去した。必ずしも大往生とは言えなかったのではあるまいか。