「衣食足りて礼節を知る」という言葉を耳にするが、正しい故事成語は「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」である。

まず前述の「衣食足りて礼節を知る」という言葉は、最近では否定的な意見が多く、飽食の時代となり逆に礼儀、節度を失っているのでは、と言われている。
私は特段、否定的には捉えていない。

やはり貧困は善悪で言えば、統計的に悪循環の社会を生み出すし、個人の思考も卑小になりがちなのではないか。

裕福な家庭で育った個人には、精神的な余裕、ゆとりがあり、思考も穏やかで平和的になるとも言われる。

成人式で暴れたり、残虐事件が度々報道される中で、飽食の時代の不誠実と捉えがちだが、そういった個人が成長する家庭、過程に貧困も含めた諸問題も見られるのではと思う。

大切なのは事実を正確に捉える事だ。

本質(本物)を知る、ルーツを知る事が大切で一元的なプロパガンダに感情や判断を左右されてはいけない。

「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」とは、中国の春秋時代における斉の大政治家、管仲が著書とされている「管子」の中にある言葉である。
管子


民生の安定があってこそ国政が成り立ち、国民ひいては国家が豊かになるという考えで、先駆的な民主主義的思考なのだ。

「管子」、いつか読みたい書籍の一つだ。