5時に目覚ましをかけて女子フィギュアを見ました。緊張しながら、熱中して観戦しておりました。

私は、藤沢市で幼少期を過ごし、横須賀市で育ちました。今回、出場した荒川選手は鎌倉出身、村主選手も清泉女学院卒という事で、誠に勝手な親近感を持っており、彼女達の素晴らしい熱演に感動しました。

やっぱりスポーツは素晴らしいですね!!

自分自身のスポーツとの半生を振り返りたくなりました。(押し付けがましいですね!)
幼少時…スイミングスクール(あまり記憶は無いが、好きではなかった。)

小学生時代…1年〜4年頃(馬堀FCという地元のサッカークラブ。1軍と2軍の間を行き来する)4〜6年は学校のサッカー部とソフトボール部に所属。対外試合無し。学校では、平均運動能力が低かったのか、トップレベルの活躍。

中学時代…1年、野球部。それなりの問題を起こし、事実上廃部。
2〜3年、ハンドボール部。学校で一番、厳しい部活。競合が少なく、市内1位。県大会ベスト16。
部活引退後、格闘技好きがこうじて、打撃系総合武道団体「大道塾」に入塾。殴る、蹴る、絞めるの基本を文字通り叩き込まれる。

高校時代…1年、授業で柔道選択。同年、クラス別柔道大会団体で中堅にて出場、優勝。生涯、最強の時。
1〜3年、ハンドボール部。
典型的なスポ根生活。正月休みの3日間は練習休み。定期試験前後、修学旅行、文化祭など全部練習。血塗られた三年間。しかも坊主。精神的、肉体的ストレスから数々の事件(かわいいものですよ!)を引き起こすなどメイクトラブルの中心人物に。

新人戦ベスト8、神奈川県インターハイ予選準優勝など。

ハンドボール部では、レギュラー7人の中、3人が神奈川県選抜選手に選ばれました。選抜メンバーは後に開催される全国大会への出場権を得、進学時、有利となります。私はエースナンバー(2)を背負っていましたが、選ばれませんでした。メンタル面での自己コントロールが不可能だったからと思われます。その影響で、怪我も多いのですから、話になりませんが。

この経験は、得がたい落胆、ある時は恨みの感情を生みましたが、1週間ほど経過すると落胆だけが残り、いつ思い出しても、その時の悔しさを味わえるのでした。今でも夢を見ます。病気ですか?

スポーツの世界は厳しいもので、十代のプレイヤーにも生涯、忘れる事のできない厳しい現実を見せてくれます。その反面、何にも換えがたい経験を与えてくれるのです。

ほとんどのスポーツ選手が語るように、敵は対戦チームである以上に、チームのメンバーとのポジション争いの上、生じる軋轢(世代間抗争も含まれる)をいかに克服するかというチームワーク、リーダーシップの問題、自分自身に課せられた課題からいかに目をそらさず、真摯に取り組めるかという自己管理の問題、これが敵であり課題であると。

こんな言い尽くされた事にも、経験が無いと人は気付く事ができません。だから、コーチ、監督、家族などの支えがスポーツ選手には必須となるのかもしれません。

私の救いは、修正不可能と思っていたチームメイトとの人間関係が、部活引退後、驚くほど良好になり、今では親友と言える存在として付き合いが続いている事に尽きます。彼らに私は救われたと心から思います。卒業文集にも書いたほどです。

高校時代の鬼のような監督は、今では驚くほどフレンドリーになり、一生の恩師として付き合っています。中学時代の監督は、昨年、急逝され、その実感を未だに把握できないでいます。

大学時代は、今日の話と全然関係無い問題と付き合う事になるので書きません。最長のブログになってしまいました。ハンドボール最高!!
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