四百年前の今日(1606年5月25日)、柳生新陰流の祖、柳生宗厳(むねよし)こと柳生石舟斎、没。
新陰流の祖、剣聖上泉信綱より新陰流を継承した剣豪という側面と、柳生の荘の領主という政治家の側面を持つ戦国時代の人。
柳生石舟斎
新陰流の祖、剣聖上泉信綱より新陰流を継承した剣豪という側面と、柳生の荘の領主という政治家の側面を持つ戦国時代の人。
柳生石舟斎
剣の道では畿内随一と評されたが上泉信綱の弟子に三度破れる。己を知り、努力を重ねて、後に新陰流を継承するに至る。政治の道では、太閤検地により隠田が摘発され、所領を没収される。後に旧領に復帰。
柳生氏中興の祖は、子の大和国柳生藩初代藩主、柳生宗矩や孫の隻眼の剣豪、柳生十兵衛らの柳生家を印象付ける華々しいスター(一般の印象だが)とは違い、誰よりもひた向きな努力家だったのかもしれない。
柳生氏中興の祖は、子の大和国柳生藩初代藩主、柳生宗矩や孫の隻眼の剣豪、柳生十兵衛らの柳生家を印象付ける華々しいスター(一般の印象だが)とは違い、誰よりもひた向きな努力家だったのかもしれない。
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