144年前の今日、今の横浜市鶴見区生麦で生麦事件が発生。薩摩藩の大名行列(実際は藩主の父、島津久光の行列)を乗馬のまま横切り、乱したとされるイギリス人4名のうち3名を薩摩藩士奈良原喜左衛門、有村俊斎らが殺傷した事件(死亡1名負傷2名)。
この事件が契機となり、翌年、薩英戦争が勃発する。この砲撃戦の結果は幕府にとっては皮肉なもので、薩摩藩の肩代わりで講和金を支払った挙句、後に薩摩藩と英国は蜜月の間柄となり、倒幕の気炎を上げるのである。
この事件が契機となり、翌年、薩英戦争が勃発する。この砲撃戦の結果は幕府にとっては皮肉なもので、薩摩藩の肩代わりで講和金を支払った挙句、後に薩摩藩と英国は蜜月の間柄となり、倒幕の気炎を上げるのである。
さて、生麦事件でイギリス人を突如斬った剽悍な薩摩隼人、奈良原喜左衛門、有村俊斎だが、奈良原喜左衛門は若くして世を去った。有村俊斎は、国事に奔走し、戊辰戦争では参謀として活躍。維新後、海江田信義と改名し要職を歴任、後に子爵となり、明治39年まで生きながらえた。
海江田信義は、泥酔の挙句、妻を殺害したと言われる黒田清隆や、政財界の黒幕、「三井の大番頭」とも言われた井上馨等と並び、闇深い人物の代表格と言えるだろう。不仲であった日本史を代表する稀代の軍師、大村益次郎暗殺事件の首謀者と言われている他、加藤弘之への恐喝事件など闇の噂は少なくない。
海江田信義の幕末維新
現代では想像し難い異形の政治家が跋扈した明治維新政府。そういう時代なので良し悪しは語れないが、現代において堅気の社会で彼等が生きる事は難しいのだろうか。現代の薩摩隼人を見てみたい。
海江田信義は、泥酔の挙句、妻を殺害したと言われる黒田清隆や、政財界の黒幕、「三井の大番頭」とも言われた井上馨等と並び、闇深い人物の代表格と言えるだろう。不仲であった日本史を代表する稀代の軍師、大村益次郎暗殺事件の首謀者と言われている他、加藤弘之への恐喝事件など闇の噂は少なくない。
海江田信義の幕末維新
現代では想像し難い異形の政治家が跋扈した明治維新政府。そういう時代なので良し悪しは語れないが、現代において堅気の社会で彼等が生きる事は難しいのだろうか。現代の薩摩隼人を見てみたい。
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