昭和29年9月、菊池章子の「岸壁の母」が大流行(100万枚以上)。昭和47年には二葉百合子が再び大ヒット(300万枚以上)させ、昭和51年には中村玉緒主演で映画化された。
星の流れに/岸壁の母
星の流れに/岸壁の母
モデルとなったのは、端野いせという女性。第二次世界大戦で出征した彼女の養子、新二はソ連の攻撃を受けて中国で行方不明となる。
終戦後いせは新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月のソ連抑留引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立ったが、新二が帰る事は遂になかった。
未帰還兵の母 (1974年)
不忍池周辺を散策していたら、舞踏家が岸壁の母の曲にあわせパフォーマンスを披露していた。シニア層中心にギャラリーの輪がひろがっていた。ギャラリーの和やかで懐かしそうな表情が印象的だった。
終戦後いせは新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月のソ連抑留引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立ったが、新二が帰る事は遂になかった。
未帰還兵の母 (1974年)
不忍池周辺を散策していたら、舞踏家が岸壁の母の曲にあわせパフォーマンスを披露していた。シニア層中心にギャラリーの輪がひろがっていた。ギャラリーの和やかで懐かしそうな表情が印象的だった。