相澤謙一郎の起業史 5[19歳 はじめての起業]の続きです。

ハンドボール部の練習は峻烈極まる厳しいものでした。また本来手を携えて勝利を目指すべき顧問、先輩、同級生との軋轢もあり、私の小さな心の器は崩壊していくのです。

精神的余裕を失っても落ち込む事を知らない私は、創造の範囲内での暴走を始めます。また反抗的な態度や傲慢な言動を繰り返すようになります。大馬鹿野郎の登場と言うわけです。

鉄拳制裁を喰らう事もありましたが、今思えば、それが歯止めになっていたのかもしれません。頭は2度ほど丸めました。

暴走の一環としてアクティブな交通手段を手に入れた私は、交友関係においても行動範囲を飛躍的に広げていきました。体育会、バンドマン、サーファー、ロッカーズ、DJ、ダンサー、暴走族、走り屋、空手家、アニメーターなど様々なジャンルの人と顔を合わせるようになっていました。

想像力の無い僕らの遊びの手段は大抵、酒です。ある友人は泥酔状態で補導され名前を聞かれると、苦しみながら「山田ぁ太郎〜」ともがき始めました。ドカベンじゃあるまいし!酒の怖さをはじめて思い知った瞬間です。近い将来、酒を生業にするとは考えもつかない頃の話です。

※未成年の飲酒は、未成年者飲酒禁止法により禁じられております。

部活と遊びに暴走中の私が、唯一、正気になれたのは暗記をしている時です。指定校推薦で大学に入学するには、高校3年まで優秀な成績を取り続けるしかありません。勉強する時間もなく、方法も知らない私はひたすら暗記するしか手立てはありません。

勉強道具は赤ペンと半透明の緑の下敷きです。

兎に角、教科書を暗記しまくりました。挿絵の場所、ページ構成、英語の教科書ではナンシーの顔まで暗記の対象です。効率的かどうか自信はありませんが、テストの問題は丸暗記の敵ではありません。進学校ではなかったので、テスト自体に応用や捻りがなかったのでしょう。いずれにせよ百戦百勝でした。

大馬鹿野郎の私は二つだけ学ぶ事ができました。

ハンドボール部での反復練習とテスト対策のための暗記。これは今でも仕事の基本として大切にしています。基礎練習を繰り返す事で確実に力が蓄積され、あらゆる情報を整理し暗記する事で決断、判断が速くなるのです。