相澤謙一郎の起業史 10[19歳 はじめての起業]の続きです。

ハンドボール部を引退した私は、一学期の期末試験を迎えますが、暗記大作戦でまたもや連戦連勝。後は指定校推薦の結果を待つばかりの状態となりました。


そして高校時代最後の夏休みを迎えます。


もとより受験勉強を全然する気のない私は、相当の時間を持て余していました。一人でモーターサイクルと戯れる位しかやる事がありません。

そんな時、Chaosという素敵なお店に出会いました。アメリカントーイに囲まれた古木仕様の店内は、BARというよりオモチャ箱のようでした。私はこのBARでほとんど全てを学びました。


当時のChaosには、横須賀中のいかした人が集まっていた気がします。ドブ板の古着屋さんや、ロッカー、ブルースマン、モッズ、サーファー、中毒者、ご近所さん達。

私の知らない事を知っているかっこいいお兄さん、かわいいお姉さん達にたちまち夢中になってしまいます。アルバイトのお小遣いを握り締めて、酒の味の分からない私はChaosのメニューを上から順番に注文したものです。


すっかり全てのメニューを注文し終わる頃には夏休みも終わり、そしてあっけなく明治学院大学法学部法律学科への入学が決定しました。地獄の部活に耐え、暗記魔に徹した事が功を奏したようです。

受験勉強や就職活動に忙しい周辺をよそに、私は余裕綽々とラーメン屋のアルバイトとChaos通いに興じるようになります。横須賀の飲み仲間も増え、高校を卒業する頃にはいっぱしの飲ん兵衛に成長していました。

また友達関係に関しては、受験に無関係なバンドマンや単車乗りとの交流が中心になっていました。

酒、モーターサイクル、ロックンロールというゴールデントライアングル。典型的な横須賀野郎の出来上がりというわけです。底無しにドップリ嵌りました。


ハンドボール部時代に鍛えた瞬発力と根性は、若い私を縦横無尽に動かし続けます。Chaosのマスターに憧れた私は、米ヶ浜のカクテルバーで17〜5で働き、飲食店開業資金を貯め始めます。モーターサイクルは、ミーハーなアメリカンから、空冷2ストローク2発1978年製RG250Eに乗り換え、ロックはドラムを叩き始めました。
RG250E[お疲れ様。僕のRG達。]
http://aizawa.livedoor.biz/archives/50749546.html


[馬鹿になって10年続けている事。]
http://aizawa.livedoor.biz/archives/50245305.html

暴走劇のはじまりはじまり。