相澤謙一郎の起業史 13[19歳 はじめての起業]の続きです。

それは紛れも無い大事故です。1996年5月初旬の朝、RG250Eで学校への道を急いでいた私は、三春町の交差点で右折車と正面衝突してしまいました。

「やべぇ!」と思った瞬間には、金属と金属が激しくぶつかり、軋み合う感覚を瞬間だけ味わうと宙に飛んでいました。

地面に叩き付けられ目を覚ますと、不思議な光景に出会いました。

私の周辺に人だかりが出来ているではありませんか。しかも「動いたぞ!」とか「生きてるぞ!」「動くな、動くな!」などのかけ声が聞こえてきます。ちょっと意味不明でしたが、血だらけのタオルが頭の傍にあったので、さらに混乱しました。

そんな時、道の向こうにRG250Eの姿が見えました。

RG250Eはマフラーをレース用チャンバーに変えたばかりで、フレーム加工などの改造を終え、バイク屋から納車されてきたばかりだったのです。またバイク屋に納車か…せっかく帰ってきたのに…でも思いの外、壊れてなさそうだな…あっ、絶版のランプは無事!…などと単車の事ばかり頭に浮かんできました。

すると救急車がやって来るではありませんか。「もう救急車来たんですか。早いですね。」と言うと、恐らく頭からの流血を拭ってくれた方が「遅いくらいよ!あんた、30分近く意識無かったのよ!」と教えてくれました。


サプライズです。


さぁ、ここから「救急外来24時体験版」のはじまりです。

病院に着くなり、担架が走り始めます。看護婦さんも大急ぎで大変そうです。

まずは脳みそチェックです。筒状の機械に入って、写真みたいなものを撮ります。次は縫合手術です。何のためらいもなく頭を剃られたので驚きました。剃刀が傷口に触れると初めて痛みを感じました。

何本か痛み止めの麻酔を打つと、後は縫い針がプスプス頭に刺さる感覚が残るだけなので耐える事ができます。膝の縫合は丸見えなので、嫌な感じでした。

指の甲は骨折です。ヒビより治りが早いとの事でしたので、多少喜んだ事でしょう。

強烈だったのが踵です。NIKEエアーマックス2は宙に飛び去り、僕の踵を思い切りアスファルトに引き摺りながら叩きつけたようです。肉がそげてしまいました。靴下を脱がされ、消毒するわけですが、土が入り込んでいるようなので、兎に角強く擦られたのです。


この痛みは人生、最凶クラスです。

他に、各部裂傷、鞭打ち症状の重傷を負いました。

最後のサプライズは「病室がいっぱいなので、松葉杖を貸します。お引取り下さい。」と言われた事です。

自宅療養のはじまりはじまり。