夜明け前に旅先から帰宅。

東京に帰る足につかった深夜高速バスは1,000円奮発してワンランク上のシートを確保したのですが、安眠できませんでした。

睡眠不足の三連休最期の一日は、読書と調べ事に終始。そして夜はテレビに釘付けになってボクシング観戦です。

そしてやってくれました!スピードキング西岡利晃が、世界戦5度目の挑戦で悲願のチャンピオンベルトを手に入れました!

若かりしき頃「最も世界に近い男」「日本のエース」と呼ばれた西岡ですが、不運にも同時代にウィラポンという強いチャンピオンがおり、4度ウィラポンの世界ベルトに挑むも4度阻まれました。
[2000年6月25日(判定負け)、2001年9月1日(引き分け)、2003年10月4日(引き分け)、2004年3月6日(判定負け)]

(ウィラポンは、元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎からベルトを奪い[1998年12月29日]、再戦でもKO勝利[1999年8月29日]。その後、WBC世界バンタム級王者長谷川穂積と2度に渡る死闘を繰り広げるなど日本人と縁の深いボクサーです。長谷川穂積はウィラポンを2度破りましたが[2005年4月16日、2006年3月25日]、ウィラポンは全盛期を過ぎていたともいわれています。)

その間、スピードを活かしたボクシングが身上の西岡にとって命取りになりかねない左足アキレス腱断裂という故障もありました。

2度の引き分けを含む4度の世界挑戦失敗と、故障を乗り越えて、生命を賭けた真剣勝負に挑んだ西岡の姿に感動しました。

スタミナ面では、ウィラポンがセコンドについた相手のナパーポンに分があったようにも見えましたが、10ラウンド以降は根性で相手の反則も誘い、見事、WBC世界スーパーバンタム級暫定王者に輝きました!

試合終了後、愛娘を抱きかかえた西岡にウィラポンが祝福の意を表しました。(そのように私には見えました)西岡は愛娘に「ウィラポンだよ」といって90年代を代表する元世界チャンピオンを紹介しました。その一言に、敵味方を超えた戦友、はたまた友情のようなものを感じました。

私はウィラポンのスポーツマンシップと西岡の一言に、さら感動を深めたのでした。

スポーツっていいものですね。